えんがわだいすき

社会人腐女子が日常生活の中で感じたことのメモ。

「しょうがない」ってなんだろうか。

妥協?
諦め?
嘆き?
逃げ?

決して良い響きの言葉ではないですね。

【アルプススタンドのはしの方】という舞台を見に行きました。

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spotted.jp

Mくん、野球はかろうじて昔町内子ども会のソフトボールをやったくらいの知識です。
当時はキャッチャーでした。腰の引けた(笑)
子ども会でやるソフトボールキャッチャーって誰もやりたがらないんですよ、ボールめっちゃ飛んでくるから。
当時の私は「誰もやりたがらない事をやれたらカッコいいのでは?」みたいな気持ちでキャッチャーに立候補。
とはいえ、迎え来るボールより、目の前で降られるバットの方が怖いので、かなり腰が引けていました。

ガチガチの野球話だったら細かいネタはわからないかな?とも思いつつ、いざ観劇。

結論から言うと「野球の話」ではなく野球の応援をキッカケに考え方を改めてみる話」

「端の方」と言うくらいですから、メインの応援席ではなく「端の方」からお届けされます。

野球に興味ないけど行けって言われたから応援にきた演劇部2人、
好きな人が野球部だから見にきた優等生、
本当は行くのを迷ったけど元仲間達が出ているからと何となく来た元野球部、
そんな気持ちでスタンドにいる学生四人と、野球が大好きだけれど茶道部の顧問になった転任してきた先生一人のお話。

「いくら野球を頑張っても凡人の俺は上手い奴に追いつけない」→しょうがない
「部員がインフルエンザにかかった。演劇の大会に出られない」→しょうがない
「テストの点数は競うものではない。常に一位だった私が二位になった」→しょうがない

「しょうがない」なんてことあるかーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!

と、劇中で顧問の先生が言っていました。

まったくもってその通りだなぁと思います。

「しょうがない」という言葉を使う時点で未練がタラタラで、
自分は過去の「しょうがない」事件のそこから全く一歩も動けていないんですね。

自分の気持ちに折り合いをつけたいが為に(本人は前に一歩も進めていない)
他人を引き合いに出して「しょうがない」という気持ちで片付ける。
モヤモヤっとした感情だけが残りますよね。

Mくんも経験はあります。
「しょうがない」で片付けた色々な事が。

野球をやめた元野球部員が言いました。

「チームには万年補欠、ド下手の野球部員がいる」
「アイツは試合に出られなくても、人一倍練習をする」
俺はアイツを見ているとイライラする

と。
そのイライラの感情って一体何なんだろな…と考えてしまいます。

きっと元野球部員くんから見たド下手部員くんはキラキラしているんです
泥草く地面を這いつくばってようが、どこか一点を見つめて、ただひたすらに、がむしゃらに頑張っている。
そんな姿を見てしまったら、「周りと比べて技術が劣る自分にやるせなさを感じて途中挫折」した自分は酷く霞んで見えますよね。

かといって、野球部をやめた事自体は悪い事では無いと私は思います。

何故なら、野球部をやめて、今まで野球に充てていた時間をもっと別のことに使ったら。
もしかしたら本人が楽しいと思える事や、生涯付き合っていく趣味などに出会えるかもしれないからです。

そう、やめた後の言葉が
「俺、野球部やめたんだ!でも今は○○って物を見つけてちょっとやってみたんだけど…これが案外楽しいんだよね!」
という前向き感情なら問題ないと思うんです。
「野球は向いてなかったのね」「新しい好きな事を見つけれてよかったね」
と思うからです。
しかし作中は
「俺、野球部やめたんだ。まぁしょうがないよな、俺がいくら頑張ったって4番でピッチャーでエースのアイツには勝てないんだもんな」

未練タラタラじゃね~~~~~か!!!!!!!!!

ちなみに万年ベンチの補欠くんは、試合中に選手交代で「送りバント」をする役をやります。

送りバントなんて、自分は活躍しないし、アウトだし、な~~~んも意味無いじゃん

のような会話が劇中にあります。
補欠くんは「送りバント」をするためにベンチを出て、フィールドの砂を踏みました。
演劇部の女の子言いました。

「アイツ、すごく嬉しそう」

そうなんです。
補欠くんはすごく嬉しそうにバッターボックスに立ち、送りバントをします。
そして仲間を2塁3塁へと送り出す。

彼の努力は実を結んだのだなぁという感情と、
送りバント」という一見自己犠牲のようなバッティングも、
俯瞰して見ればチームの為になっているんだよなぁという感情。

万年補欠くんは、最終的に5年後にプロ選手として活躍するのでした。(イイハナシダナー)

応援スタンドにいた4人は、自分の抱えていた
「しょうがない」
という言葉の裏に隠していた自分の気持ちと向き合う事にします。

プロ野球選手にならなくたっていい、
大女優にならなくたっていい、
それでも好きな事は捨てない。
自分にやれる事はやる。やりたい事をやる。
やった先に何があるのか、なんて意味は考えなくていい。
ただただ、好きだからやる。

作中の学生たちは各々自分のやり方、自分の選んだ道で好きな事に関わっていきます。

ちょっとだけ別作品の話をします。
金色のコルダ」という音楽を題材にした乙女ゲームがあります。

dic.pixiv.net

この中で、手を負傷したバイオリニストの男の子がプロの演奏者生命を諦めるシーンがありました。
彼はバイオリンを造る側の人間になる決心をし、これから先も音楽に触ながら生きていく事を選びます。

好きなことにはどういう形であれ関わっていけるんだなぁと思いました。

何か人生の中で「○○できないのはしょうがない」と思って諦めたことってありますか?
私はあります、と先ほど伝えました。
しょうがなくなんて無いんだなぁ…と改めて気づかされました。

諦め切れていないその「何か」に対し、
もう一度真正面からぶつかってみるも良し。
別の角度からアプローチしてみるでも良し。

これは野球や演劇、そういう「好き」「趣味」「特技」に関する事だけではなく、
人間関係、生活環境、全てにおいて適用できる話だと思います。

友人が言っていました。

「昔は許せた事も、今はストレスになるかもしれない
「仕方が無い、しょうがない、といって妥協した今の自分。本当は苦しくてしんどくて辛い状態かもしれない
「年齢や生活環境によって、自分が許せる事は変わってくる。昔からこうだから…という考えは返って自分に負担をかけるかもしれない

なるほどな。と思いました。
最近HOTな話題に良く上がる「夫or妻が○○してくれない」件。
夫婦2人の生活であれば許せたかもしれないけれど、
子供ができた事によって許せなくなっているかもしれない。

 

自分が抱えるモヤモヤを晴らすために、一歩踏み出す勇気を。
そして自分の為にも「しょうがない」で片付けない人間になっていきたい。

 

 

 

 

P.S
石原壮馬くん、やはりコミュニケーションに対し不得意なのが丸分かりな芋学生の役…本当に上手くて本当に良く似合う…